暗黒時代から、講座やセッションをするまでの経緯


【暗黒時代】

 

子どもの頃から、23歳まで人間関係に悩む。

クラスに馴染めず、学級活動や遠足などの行事が特に辛かった。「いま辛くても、次の場所なら大丈夫。クラスが変われば、学年が上がれば、進学すれば、、、」と希望を持って勉強だけはやっていた。けれど、どこまで行っても現状はまったく変わらない。

 

社会人になっても苦手な先輩がいるとパフォーマンスも低下。仕事もろくにできず、「環境や周りの人でなく、自分が変わらないとダメなんだな」と意識が変わるが、方法はなく途方に暮れていた。

 

 

【転機】

 

ストレスから来る からだの不調をなんとかしようと気功を習い、気功の先生からレイキを習ったのは、1996年。レイキの伝授後、肌感覚で「気づき」が入ってくるようになり、運動神経も少しよくなり、「デキナイ」という思い込みも緩んで、少しずつ人生が好転していった。

 

 

【第3の思春期】

 

レイキを習って、エネルギーが整って、情報が入ってきても、どう行動すればいいのかわからない。中高時代に経験するはずの「人間関係の学び」や「試行錯誤して課題を達成すること」を社会人になって初めて体験するようになり、数年は無我夢中ですごす。

 

 

【ライフワークに出会う】

 

2003年 メンタルワーク や ボディワーク も習った。苦手な人が気にならなくなった、無理と感じてたが楽にできてきた。日常がどんどん楽しくなった。心の傷を癒したり、無意識になっているところを具体的に見ていくことは「問題を解決だけでなく、健康的に自分の個性をフルに活用すること!」と気づき「いろんな人に伝えたい!」と開眼する。

 

ここに至るまで、旅行用品の販売、遊園地での営業事務、旅館の仲居、カーテンの販売、などの仕事をしていた。正社員で勤められたのは最長2年と8か月。

 

 

【ふたたび絶望】

 

2005年「ADHD(発達障害)の傾向があるかも?」と指摘される。

レイキを習って、奇跡のように生きやすくなってきたけれど、定型さん(発達の凸凹のない人)の視点からみると、やってることに粗が目立つのか???

子どもの頃からの生きづらさの原因がわかったし、不注意なところがあると自覚はあるが、根本的な改善策もなく絶望する。

 

 

【仕事のこと】

 

気を取り直して仕事を探す。バス旅行の添乗員の仕事を始める。旅行の仕事は学生時代からの憧れだった。ここに至るまでに旅行業会での挫折も4回経験していた。10年越しに望みが叶ったことになる。が、仕事を始めてからもまだ、慣れるまでには時間がかかった。

 

週末は、バス旅行の添乗員、平日は派遣会社の事務や塾の講師、学童保育の指導員、などを経験する。旅行の仕事は、細く長く2019年まで続けられました。

あとの6年は、添乗員だけでなく、週に4日は内勤も入った。自分のペースで企画などの仕事もさせてもらえた。感謝。

 

 

【自分を知ること】

 

ADHDの傾向? 抜け漏れがあったり、話が飛んだり。天然なところはあるけれど、「できないところ」をなんとかして「できるようにする」のではなく、「できない自分でも大丈夫」の方向で自分を整えていくと、奇跡が起こることを実感してきた。

 

生まれ持った個性は「その個性があるからできること」がある。

その体験をするために「あえて」凸凹も含めてその個性を選んでる。

 

とはいうものの、ネガティブなエネルギーが分厚いと見えないことなので、自分自身を解放できるメンテナンス(=自分を整えていくこと)の重要性もまた実感。

 

 

【さらに自己受容】

 

 子どもの頃からのトラウマ的な体験が癒えたら、過去世も思い出されて「戦いの記憶」にまつわるトラウマも癒えてきた。そこからさらに、自己受容をすすめ「そのままの自分で大丈夫」になってきたら、周りの人の私への対応もさらに受容的になり、「こんなにいい人に囲まれてたんだなぁ」「こんなに恵まれていたんだなぁ」「こんなに調和な世界だったなぁ」をしみじみ味わえていく。

 

ADHDやASDの傾向も、今もあるのかもしれないけれど、困ることってほとんどない。

花や木が、ひとつとして同じものはなく自由に咲いているように、「個性ってもともと、いびつなものじゃあないのかな?」とさえ思ってしまう。

 

凸凹も必要があってそうなっている。今は、そうとしか思えません。

 

 

いつも、ありがとうございます。感謝。